音の平衡

自分の機械から出ている音に言及しようとすると、そうした事柄を表記するための語彙が自分に決定的に欠如していることに毎回気付かされるのだが、それはそれとして改変後の弐號機を組み込んだ音について。
オレがオーディオ機器に要求するのは、端的にいえばオレにとってのリアリティである。演奏者がそこにいるような幻想が欲しいわけではないが、息遣いや弦のこすれる音や、そうしたものがマイクの向こうにあると思えることが重要だ。この辺がうまく言えないところなのだが、自室で音楽を聴くという行為はそれぞれの演奏家の現実の追体験であるとオレは思っているから、それが綿密なスタジオワークの結果であるとしても、一定の現実を反映しているものとして捉えている。そもそも演奏や歌が存在しないデータとしての音楽をほとんど聴かないということはあるけれど、そこにあるはずの現実を汲み取りたい。ただその現実が何らかのフィルタを通して客体化された結果であるという認識があって、したがってオレが求めているのは実体そのものではなく、ちょうどオレがオレ自身の演奏の録音を後から聞いた時に感じられたような「あったはずのリアル」である。
で、Lowther と弐號機との組み合わせは、あるいは Tube Dac の音を含めてもいいが、おそらく人によっては「きつい」「うるさい」と感じられる部分を持っていると思う。オレ自身もう少し抑えたいところもある。ただ、それを丸めてしまうと「リアル」までも消え去ってしまう経験をしたので、その兼ね合いが難しい。今のところそういうリアリティはうまく出せていると思うのだが、その副次的かつあまり面白くない帰結として人の声の帯域あたりになんとなく雜味が乗るんである。オーディオ的に心地よいとされる音はしばしばそこを丸めて滑らかにしたものであって、オレの感覚が標準的ではないことも理解しているのだが、そこを削って聴きやすくすることをしたくないばっかりに余計な苦労を背負い込んじゃってるのが現状だ。
とりあえず、初段の 6F5GT が誘導ノイズを拾っちゃってるので対策が必要なこと(ボリュームを絞った限りではほとんど聴こえる雑音はないのだが)、場合によっては負帰還量を増やすなどして高すぎる全体のゲインをもう少し下げるべきだと思えるところが改善点。そのあたりでまた出てくる音にも影響があるだろうから、少しずつ詰めていこう。